真田幸村は生きていた? 伝説を詳しく検証、学校では教えてくれない歴史

JUGEMテーマ:日本史




真田幸村は生きていた? 伝説を詳しく検証、学校では教えてくれない歴史


英雄につきものが、実は生きていたというエピソード、そこには、民衆の熱い思いが込められている様に思う。


織田信長、源義経、石田三成、豊臣秀頼、明智光秀、島左近、大塩平八郎、西郷隆盛などなど、共通点は志半ばで、命が尽きた人達。


大坂夏の陣での活躍した、真田幸村もそんな1人である。


大坂の陣で死んだのは影武者で、本人は逃れたとする説。


本当か、ただの伝説か気になる所。


根拠

わらべ歌が流行したらしい。

「花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたり鹿児島へ」


鹿児島藩の初代藩主、島津家久は「真田日本一の兵、徳川方半分敗北」と書き残している。


伝説では、真田幸村は南九州市に住み、その後、子孫が真江田性を名乗ったとされる。実際に大分県の別府名大川にある真江田家の墓には、真田家が使っていた印、六文銭が刻まれている。


検証

江戸時代には、真田十勇士や真田三代など、真田幸村を題材にした軍旗小説が書かれた。


徳川家康を後一歩の所まで追い詰めた真田幸村に、江戸幕府に対する不満を重ねたのかもしれない。


真田幸村の人気は高く、小説なので、創作された物語も付け加えられた。このような背景の中、真田幸村は実は生きていたというエピソードが生まれたのではと考えられる。


歴史語句

真田幸村→1567〜1615年、(別名)真田信繁、大坂夏の陣で活躍をする。父は真田昌幸、兄の真田信之は松代藩初代藩主。


島津家久→1576〜1638、初代藩主薩摩藩藩主


大坂の陣→1614年〜1615年、大坂冬の陣と大坂夏の陣の2回に分けられる。豊臣家が滅亡して、徳川の支配体制がより強化された。


教科書に載らない歴史

真田幸村

実は生きていたエピソード

伝説的な俗説


教科書ではある程度、定説の事柄しか取り扱わない。


→面白くもなんともない。いろんな説を知ってこそ、歴史の面白さを感じる事ができる。

 

その他の様々な俗説集



 

 

クリックお願いします


 

 

先生 | 実は生きていた歴史上の有名人 | 17:44 | comments(0) | - |
2/8PAGES | << >> |

06
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--
PR
RECOMMEND
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
OTHERS
教科書に載らない歴史のサイト案内とブログ管理者の他サイト紹介
ここをクリック
いつもクリックありがとうございます。

にほんブログ村
著書紹介
LATEST ENTRY
CATEGORY
ARCHIVE
LINKS
PROFILE
SEARCH