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高校で普段行っている授業の日記集、教科書に載っている事だけを授業するなら教員なんていらない。
誰も知らないことを授業に取り上げる事に意味がある。日本人としての心を取り戻す教育を行っております。その一部を紹介します。
2016.03.28 Monday
教科書には載っていない!戦前の日本【電子書籍】[ 武田知弘 ]
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戦前の日本最大の都市は?
東京と大阪、この2つの都市は日本を代表する都市であり、特に大阪は東京に対して、強いライバル意識を持っている。東京の方はそれほど意識はしていないように感じる。
では現在、東京と大阪どちらが、日本最大の都市であるか、誰もが分かるはず。
→東京
現在の日本では、東京は政治、文化、産業、経済、観光の中心地で、財力、人口ともにダントツ一位の日本を代表する都市である。様々な機能が集中し、東京一極化の状態である。
では、戦前の国内最大の都市は?
→戦前の最大都市は大阪市
なぜなら、大正時代末期の1928年に東京市を抜いて人口一位の座についた。
日本・1位大阪233万、2位東京221万であった。世界でもニューヨーク、ロンドン、ベルリン、シカゴ、パリ、大阪と6位になった。
ここで、疑問があると思う。それは、おそらく、なぜ東京を抜いて大阪が人口第1位になったかである。
理由は何個かある。
→・戦前の大阪は商工業の中心地で、当時「東洋のランクシャー」と呼ばれるぐらい繁栄していた。
・大正14年(1925)行政区域の再編成による合併によって人口が増えた。
戦前の大阪
戦前の大阪は工場地帯としてのイメージであった。
現在の様な食いだおれや芸人などのイメージとは違っていたようである。
大阪は文化や情報の発信地でもあり、朝日新聞や毎日新聞の発祥の地でもあった。
町の中心部から離れた電車の沿線上には、住宅街が作られた。
今では当たり前の郊外型の住宅街は大阪が発祥である。
大阪のこのような中心部の周りに住宅街をつくる町づくりは全国のモデルにもなった。
しかし、昭和7年(1932年)に東京市が再編成を行った結果、東京市が人口1位にかえり咲く。だが、大阪は日本の文化や工業の中心地として栄えた。
戦中、戦後
大東亜戦争(太平洋戦争)が始まると、軍事産業が東京に一極集中し、人や物資が首都圏に集まるようになった。
そうなると大阪は衰退していった。
そして、戦後、現在東京の一極集中は続いている。
教科書に載せたい歴史
戦前は大阪が日本最大の都市であった。
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