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岡倉天心!日本人の心の拠り所を救う活動とは

JUGEMテーマ:日本美術

 

 

文化財保護に貢献した人物

 

 

神仏分離

明治政府が出した神仏分離令によって、神仏習合という日本古来の仏と神が融合した信仰が否定され、神と仏が分けられた。

この神仏分離令を拡大解釈した民衆によって、仏教排斥運動が展開される。

これは、廃仏毀釈と呼ばれ、全国の仏像やお寺は壊された。

 

例えば、奈良の興福寺では寺領が没収され、僧全てが春日大社の神官となった。興福寺の有名な五重塔は現在の価値で約2万円で売却されたと言う。

 

明治初期のこの時代、廃城令や欧化政策など日本の伝統は壊され、西洋文明がもてはやされた。

 

 

岡倉天心の活動

全国の仏像やお寺が壊されていく中で、岡倉天心はその保護のための活動を行う。そこには1つでも多くの文化財を守る熱い思いがあった。文部官僚となった岡倉天心は、仏像の被害状況を調べ、仏像を少しでも後世に残そうとした。

 

文化財の保護を本格的にするには、政府の協力が必要、しかし、当時の政府は西洋の文化を取り入れることにしか興味はなかった。

 

そこで、岡倉天心は政府のトップを動かすことを決意し、外国人フェノロサの協力を得た。伊藤博文を日本絵画の鑑賞会に招き、フェノロサの国から日本美術の素晴らしさを伝えてもらった。フェノロサの言葉に伊藤博文は心を動かされます。

 

1897年文化財保護法が成立、岡倉天心の思いが通じた瞬間であった。

 

重要語句

岡倉天心(1863〜1913)

→美術行政家、思想家、東京美術学校長、日本美術院設立など。明治日本美術の指導的立場

 

神仏分離令(しんぶつぶんりれい)

→仏と神が融合した神仏習合(しんぶつしゅうごう)を否定し、仏と神を分けた。明治政府は神道を国教とした。

 

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

→仏、寺を排斥する運動。神仏分離令によって起きる。


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