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奥州藤原氏と平泉-世界遺産の知られざる歴史

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奥州藤原氏と平泉-世界遺産の知られざる歴史
 

 

│ 場所

東北地方、岩手県に奥州藤原氏の平泉がある。
 

 

│ 文化的価値
東アジアの仏教文化と日本文化の融合がみれる。

 

中央政府から離れた独自の奥州藤原氏の栄華をしめす文化遺産の数々は価値が高い。
 

東北を中心に、黄金に代表される独自の文化が生まれた。
 

 

│ 歴史
歴史 藤原清衡(ふじわらのきよひら)が11世紀後半から奥州藤原氏の基礎をつくる。
 

2代藤原基衡(ふじわらのもとひら)

3代藤原秀衡(ふじわらのひでひら)

4代藤原泰衡(ふじわらのやすひら)


12後半まて、約100年間、奥州藤原氏が栄える。

 

3代藤原秀衡の時代、中央では源頼朝(みなもとのよりとも)と源義経の対立が表面化し、源義経(みなもとのよしつね)が奥州藤原氏を頼り身を寄せる。

 

藤原秀衡は源義経をかくまった。

その後
4代藤原泰衡の時代、頼朝は義経の身柄を奥州藤原氏に要求。


→断れば、戦になる。
 

→迷う
 

●選択肢
〕蠶の言う通り、義経の首を差し出して、頼朝の機嫌をとり安泰をはかる。
⇒蠶の要求を拒み、迎え討つ。

 

はたしてどちらを選択したのか?

→結果
 

藤原泰衡は源義経を強襲、義経を打ち取った。


,料択肢を選んだのである。

→その後
源頼朝はそんなに甘い人物ではない。


源頼朝の約束は破られて、奥州は頼朝軍に攻められた。

奥州藤原氏は戦に敗れて滅亡した。

日本国民に愛される武将源義経、奥州の覇者藤原氏の悲劇、これが平泉の歴史である。

日本人は成功者よりも、思い半ばで、散っていった英雄に思いをはせる。

歴史のロマンに満ちあふれた世界遺産である。

先生 | 世界遺産 | 18:26 | comments(0) | - |

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